松帆慶野の歴史を訪ねて/何百万年もかけて積み上げた地層 NHKのブラタモリでも取材

 
 

 1慶野と銅鐸・銅剣

 
 
2015年4月、南あわじ市松帆地区で7点発見された銅鐸。発見された場所は、ある企業の倉庫内の土置き場とされていますが、採取した土は、松帆地区の櫟田といわれており、当社から約1㎞以内の範囲で発見されたとされています。それらは、出雲(島根県)と深く関係があり、朝鮮半島で作られた金属器が使用されており、大陸や朝鮮半島、また日本海側の地域と深いつながりをもっていた海の民と呼ばれる人たちが瀬戸内海最大の島、淡路島にいたのでは・・・という有力な学説があります。古く江戸時代にも慶野中の御堂付近で銅鐸が数点発見されたという記録が残っており、そのうち1点が現在松帆櫟田の日光寺に所蔵されています。また、銅鐸が多数発見されている近くの古津路でも14本の銅剣が発見されていておそらく弥生時代に勢力のあった国、豪族がこの慶野付近に存在していたのでないかという推測ができます。今から2000以上も前に、九州、中国地方とも交流をもっていた証拠ともいえるでしょう。発見された銅剣・銅鐸については、南あわじ市滝川記念美術館玉清館に所蔵、展示されています。(南あわじ市松帆西路1137-1)
 
 
 
 
 

2松帆銅鐸について

 
松帆の銅鐸は、歴史的に画期的な発見とされています。銅鐸は、青銅器で鉛、銅等の合金でおそらく使用されていたとき何か知らせるベルのような役割をしていたのではないかと推察されています。松帆銅鐸の2つは、慶野中御堂の銅鐸と兄弟、松帆銅鐸の1つと加茂岩倉27号銅鐸と兄弟、松帆銅鐸の1つと荒神谷6号銅鐸(島根)が兄弟銅鐸です。兄弟銅鐸というのは、同じ鋳型で金属を流し込んでできたもので作られた場所が同じでおそらく時代も同じと推測されます。そこからも地域交流、朝鮮半島などとの交流等もうかがえるので貴重な資料といえます。この貴重な銅鐸がたくさん発見されているということは、付近で銅剣も発見されているので集落・力のある豪族くに等の存在の可能性も大きくあると思います。いかんせん中国と違い古代文字・文献がなく古代史を研究するための資料がないので想像力をはたらかせなければならないところが残念なところでもありますが・・・だから古代史研究にはロマンがあるともいえます。
 
 
 
 

 3地層について 何年もかけて採掘した跡地です。 NHKの教養番組でも紹介される

 

青粘土の地層です。何百万年間かけて堆積されたものです。約10mぐらいの高さです。

左側が、青粘土で右側がまっこです。

まっこの凝固した塊です。
 
黒っぽいのが亜炭の粒です。
2021年10月2日のNHKの教養番組ブラタモリ「淡路島の宝・・・」で取材撮影された場所です。↓↓そこから当社の粘土・土は採られ、当社の配合粘土等は製造されています。